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66.66% 高深度躯体 -depth body- / Chapter 6: 凍史

บท 6: 凍史

ナイフで掘りだした銃は、レシーバーが割れていて使いものにならなかった。

ビスで留めた外装を撫ぜていると、シャノンが隣に膝をついた。検死は終えたらしく、シェルスーツの指にシャーベット状になった血と脂が付いていた。

「無改造の『オーガスト』タイプでした」

「分かっている」

死体はどれも同じ胚を分割して出来ていた。

クシクラゲの実験と同じようなやり口だ。クローニングも適当にやっているものだから、奇形に近い発生をしていた。左右で腕の長さが変わっていたり、耳たぶが欠けていたり。

見開いた目はどいつも深海魚のように飛び出ていた。急な減圧で口から食道の粘膜を垂らしている個体もあった。

ねじくれた指を一本折り取ると、年輪のような波模様が断面に表れていた。

ミオスタチンによる抑制が筋組織の発達に追い付いていない。おそらく三倍体の受精卵に成長ホルモンを投与して製造している。外見上の老化こそ著しいが、実年齢は8歳といったところだろうか。

「急造品だな。人民軍式だ」

「肉体に銃創等の外傷はありません」

シャノンが組織を入れたシャーレを確かめて言う。

「直接の死因は酸欠か?」

「気道の損傷が少なかったので、恐らくは」

誰かがフロアの空気を抜いて、このクローンたちを殺したのだ。

どいつも警備用に造られた兵士ではなかった。ありえる話としては、何か事故があって、そいつに対処するための量産品といったところか。

そのとき背後で派手な音がした。

振り向くとロックスがドアと格闘していた。僕たちが見ていると、彼女は凍り付いたノブを何度かライフルの銃床で殴りつけて、最後に肩をすくめてこっちを向いた。

「あ、うるさかったです?」

「クリアリングは終わったのか」

「この部屋だけです。くそが。熱湯でもぶっかけてやろうか……」

「凍結に水は逆効果だぞ」

ハリガンツールをシャノンから借りて10分ばかり格闘しているうちに、ひと際大きな氷が剥がれ落ちた。

こじ開けたドアにロックスが突入する。後から入ったシャノンも部屋の反対側を走査し、「クリア!」と声を張る。

「研究室のようです。死体を確認しました」

「シャノンは電子データの復旧を試せ。ロックスと僕で物理メディアを調査する」

フラッシュライトで部屋を照らしていく。

確かに研究室だった。壁際にプラスミド調製装置とインキュベータがある。

バイオトロンのひとつを開けると、枯れたイネの苗がぎっしりと詰まっていた。その横のやつには肉片の詰まったタッパーが並んでいて、抜けた水分が底の方で赤黒い水たまりになっていた。

「これ、ティッシュですか?」

ロックスがキムワイプの箱をつまんで言った。

机の下を見ると、取り口の破れた箱とピンポン玉が仕舞いこんであった。どこの研究室でもヒマしてる研究員の娯楽なんて同じようなものだ。

床の死体は研究員のプレス証を付けていた。

アジア人男性、主任研究員。こちらも平々凡々。

白衣のポケットにはペンを挟んだメモ帳が入っていて、開くと日付と遺言らしき文言が並んでいた。しばらく読んでいるうちに、思わず顔をしかめてしまった。

「……『死に至る病』だと」

「はい?」

ロックスがキムワイプの箱を持ったまま近付いてくる。

僕はメモを振った。

「何らかの実験対象の封じ込めに失敗して、施設内部で粛清を行ったと書いてある」

「病原菌ですか」

「さあな。ずいぶんボカした書き方をしてあって、『死に至る病』としか分からない」

「絶望のことですね」

シャノンが研究用コンピュータに携行式電源を繋ぎながら言った。

「キルケゴールの本ですよ。死に至る病とは絶望である。絶望はすなわち罪である……」

流石、こういう理屈っぽいものには強い。

「抽象的なものを抽象的なもので表現してるだけじゃないか?」

「分かりやすかったら偉くなれんのでしょうよ、あの手のケイジジョウガクって」

数度ほどコネクタを繋ぎ直して、最後にシャノンはディスプレイをひっぱたいた。

「末端側はダメですね。このアマ、低温で磁気記憶装置がすっかりバカになってやがる。サーバーから吸い出せばいくらか分かることもあると思いますが……」

「時間が無い。やるなら直接繋ぎに行った方が早い」

「だったらひとつ下の階層になります」

エレベータを下るために研究室の外で荷物をまとめていると、ロックスが書類を詰めた耐圧ケースを運んできた。中身を選別するために苦心したらしく、隣に座るなり疲れた目をほぐし始めた。

「上にあった死体もその……あなただったんですか」

 彼女はライフルをかき寄せて、肩にかけた。

「恐らくな」

コンピュータから施設の自己診断プログラムにアクセスしたが、浮上ポッドは全基、空のまま射出されていた。武器庫のアクセス権も制限されていて、戦闘はほぼ一方的な虐殺だったことが想像できた。

そっと、スーツから防弾プレートを抜き出して、指先でこすってみた。

敵がいると分かれば備えはいくらでも出来る。次は負けない。

「私、『レガシィ』なんて都市伝説だと思ってました」

ロックスがぽつりとこぼす。

僕が見つめ返すと、彼女は眼帯をめくってみせた。

「目の在庫が無いって言われちゃって、このザマです。等級が高い人間は毎日のように取り換えてるってのに」

「優先順位だ。軍属は装具に保険が下りるから、そちらを選べばいい」

「『レガシィ』では新人類を研究してたんでしょう? 人間みんながおんなじになれば、私の目も間に合ったんじゃないかって思うんです。それが出来なかったってことは、研究もやっぱり失敗してたんですか?」

「最後まで近親交配の問題がクリアできなかったんだ」

と、シャノンが別の耐圧ケースを担いでやって来る。ようやくデータのサルベージが終わったようだ。

「似通った個体同士が交配すると、血が濃くなって遺伝子に同じコードが繰り返し現れるようになる。そうなるとちょっとの不具合が大きなバグになってしまうから、初めから完璧なコーディングを保持したまま発生させる必要があった」

「じゃあ、私たちは?」

「市長が替わったとき、難民を大量に受け入れたろ」

シャノンはつまらなそうに言った。

「あれで混血が進んだ。今は充分に血も『薄い』から健康被害も起こっていない」

彼の渋い顔を眺めているうちに、フレアの義眼を思い出した。

あの子の母は、彼女と同じ顔をした男と結婚した。もちろん子供も純粋なニューヨーク市民だった。みんな『ニューヨーク顔』をしていた。

――あらゆる人間が、しかるべき入力に対してしかるべき出力を返すならば、全事象はマクロスケールで制御できるようになる

フレア=ノイマンの身体は医者の予測をなぞるように壊れていった。

あの子の臓器が膿にまみれ、四肢がマヒしてもなお、彼女の祖父は無数の『フレア=ノイマン』同士を交配させた。ヒトの形すら保てなかった肉塊が浮かんだ保育器を、今でもはっきりと覚えている。

最期まであの男は『レガシィ・プロジェクト』のために死んだ。

次のバージョンで人間は完璧なコードを手に入れるはずだと。

いくら複製しても全きを保つ、黄金に輝く人類種のイデアが完成すると。

「サー、どうされました」

いつの間にかシャノンたちが準備を終えていた。

すまない、と返して立ち上がる。ちょっと考え事をしていたんだ。何でもない。

彼は不審がりながらも、今のところは離れてくれた。

いつだって完璧というものはあり得ない。ただ辻褄合わせだけがある。


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บท 7: 禍去

あの男を殺したとき、僕はまだ大尉ではなかったし、呼び名だってオーガストではなくてエイス(8th)だった。

今になっても8番目という名前の意味は分からない。

受精卵クローンを分割したときのロットナンバーだったのかもしれないし、切り札のエイス(Ace)と掛けたのかもしれない。ただ、彼はそいつが最高のジョークみたいに『エイス』と僕の名前を呼んだ。

「エイス、これで終わりじゃないぞ」

ちゃんとあいつらは殺したか? 今日は30キロも走ったのか。とうとう部下が死んだのか――だが、これで終わりじゃないぞ。エイス、まだやるべきことは残っている。

僕が血まみれで執務室に飛び込んだときも、彼は顔色ひとつ変えずに同じことを言った。

「エイス、これで終わりじゃないぞ」

もう昔とは違って、彼の手はひどく節くれていて、白髪も半分以上は抜けていた。それでもあの笑顔だけは、相変わらず僕のベッドにコインを落としてはぶん殴ってきた大尉どののままだった。

「フレアか? それとも貴様の独断か?」

彼は僕に拳銃を向けて言った。

「トリガーを引くのは僕だ」

「そうだな。理由はどうであれ、貴様は『たかがその程度』でこれから人を殺す。それが重要だ」

彼はかっかと笑って、デスクに拳銃を置いた。

旧式のコルトが銀の地金に僕たちを映していた。分厚い硝煙が空を覆っても、ひどく月の明るい夜だった。

「……俺が間違ってたとは思わん」

そう言って、彼は笑みを消した。

「で、フレアはいくら難民を受け入れたんだ。市軍を蹴散らしたからには、人材は選んだのだろうな?」

どうせ知っているくせに、彼は確かめるように言ってくる。

突然、窓の向こうで大きな炎の花が咲いた。白んだ流星が地面に降り注ぎ、誰かの声が上がる。

「きみの部隊がキャンプを砲撃している。サーメイト弾だ。老人、子供、病人、前線に出なかった女ども……消火は間に合いそうもない。痛みを引き受ける気もなく、労働力にもなれないお荷物は全員死ぬだろう」

「ああ、プレゼントは喜んでいただけたようだな」

「どこまで本気だったんだ」

下の階からも銃声がした。

背後の扉ではフレアの私兵が銃を構えて、僕の合図を待っている。

この老人はいつでも命の勘定をしている。

その評価軸は決して倫理的ではないが、間違いなく一貫性のある男だった。僕がひとりで来たのも、個人的な敬意のつもりだった。

「どこまでとはな。本気というのは計量できるものではないぞ」

と彼は微笑んで、

「有無で言うなら今でも俺は本気だ。ただ、今回は後塵を拝する側を選んだというだけでな」

「『レガシィ・プロジェクト』は失敗したのか」

「知るか。連絡を寄越さなくなったビジネスパートナーなんぞ、信頼に足るとは思わん」

僕が右手を挙げようとしているのを見て、彼はため息をつき、「もう少し時間があることを期待していたのだが」と呟いた。そして僕が手を頭の高さまで上げたとき、義眼がこちらを見つめた。

「エイス」

彼は最期に言った。

「世の中、辻褄が合うように出来ているものだ。本当に終わったとき、分かるだろう」

次の瞬間、彼の頭は風船のように破裂した。

「サー、異常ありませんでした」

シャノンがエレベータホールに戻って来る。

ライフルを握る彼の指から、融けた氷が赤いしたたりになって落ちていく。そんな脂と血にまみれた手を僕が見つめていると、彼は初めて気が付いたようにスーツの腰で拭いた。

「冷媒のノルフルランがまだ循環していました。サーバーが生きています」

そうか、と言った。

エレベータシャフトの底には『オーガスト』の死体が折り重なっていた。

ハエにまみれて腐乱した身体は、それでも『彼』よりはキレイなものだった。

「ロックスをどう思う」

シャノンが手を拭くのをやめる。

彼の灰青色の瞳が僕を見つめ、一度だけ瞬きをした。

「『ニューヨーク顔』に会うのは初めてでしたが、想像よりは可愛いモノでしたね」

「きみも、純粋なユダヤじゃないだろう」

「ええ」

言われ慣れてますよ、と言うように彼は笑った。

「でも今どき、肌の白黒なんて近所のトヨタの色ぐらいの意味しかないでしょう?」

「宗教も既にそうしたバリエーションのひとつになっている」

「個性そのものもね」

彼はライフルを背負うと、壁にもたれて腕組みした。こういうヨーロッパ人らしい仕草をされると、本当にアフリカーナみたいだ。

「21世紀以来、言われるほど人間は神秘的でも特別でも無くなってしまった」

彼はふっと鼻を鳴らした。

「真に科学的なら一回性は否定されなければなりません。そのときの思想、経験、あるいは人生すらも、『条件がそろった』だけの再現可能なケースとして扱うから研究の対象になるんです」

「で、きみは科学的な人間なのか?」

「カキもチーズバーガーも食わない程度には非科学にぶら下がった個人ですよ、本職は」

まったく、この手の男が語る宗教は、いつも言い訳に便利だから困ってしまう。

ロックスも合流し、彼らはサーバールームに入っていった。

僕は外で警備しながら、ちょっと手をすり合わせたり、重たいブーツのかかとで床を叩いたりしていた。何故か心臓が痛いくらいに鳴っていて、何か物事が進むような予感があった。

最下層は虚無そのものだった。

リノリウムの床に、破れた壁紙。冷媒が回る低いうなりの他には、五感を刺激するものは何も無い。

果たして、正面からハーフブーツの音が聞こえてきた。

チャリチャリと鳴ってるのはライフルのストラップだろうか。

床を眺めていると生臭い血と鉄のにおいが突然、強くなった。間もなくすぐ隣の壁に誰かが寄りかかり、ふうっと灰色の煙を吐き出した。

嗅ぎ覚えのある匂いだった。キャメル。かつて8番目と呼ばれた男も好んでいた。

「もう喫わないのか?」

彼は嗄れた声で言った。

「いや。でも任務中だ」

「つまらない男になったな。それとも22世紀の兵隊ってやつは、老後の健康を考えながら務めるのか?」

「ケリをつけに来たか」

「いや」彼はタバコを踏み消して、「答え合わせだ。お互いの、な」

彼が重たいライフルを下ろす。

丁寧に磨かれたポリマーの外装が、暗闇に淡く輪郭を浮かび上がらせた。


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